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児玉語録

兒玉語録12月号『人間はいくらでも成長できる』を掲載

2009/12/03

スポーツ界や芸術、芸能の世界の天才と言われる人達、
或いはあのアインシュタインでさえも
成功の決め手は根気です。継続する力があるか否かでしょう。」と、
口を揃えて同じ事を語っています。

天才とは、たゆまず密度の濃い努力を続けられる人のことをいうのです。
自分の志した道で、一流を目指すためには、
    ①集中した努力を続ける力
    ②一定以上の力を出し続ける
    ③ムラのなさを求める力

そして、「苦手なものを作らない」
○食べ物の好き嫌いを作らない
○人も好き嫌いを作らない
○技術も好き嫌いを作らない
○勉強も好き嫌いを作らない

将棋の羽生善治氏
将棋でも好きではない指し手があるが、

その場に一番適した一手を選ばなければならない。
つまり、全てのものが「好き」か「中間(好きでも嫌いでもない)」であり、
「嫌い」を無くさなければ、一流にはなれないという信念を持って、
そういう生き方を続けている・・・と語っています。

また、「負けることの意義」について
どんな選手にも、負けることはある。

負けにも「良い負け」「悪い負け」がある。
「良い負け」とは、全ての力を出しきって負ける場合であり、

そこから学びがある負け方をいう。
「悪い負け」とは、全力を尽くしていないから、学びが得られないし、
次に活かすことができない負け方。

「負けたほうがよい場合もある」ということは、
下手な勝ちよりも、良い負けの方が「今の自分に何が足りないのか」
「今後どんな鍛錬を積めばいいのか」ということが明らかになるからです。

どんな選手にも、必ず「まぐれ勝ち」があるもので、

当の本人は勝ったと喜んでも、
長い目で見れば、実力の伴わない勝ちは、

本人のためにならない場合が多い。

その場合、真剣に「勝ったときこそ反省」して、

相手は何故負けたんだろう・・・ということを
謙虚に反省することができれば、それは大きな財産になる。

その点、「良い負け」は「次にどうすればいいのか」という

示唆を与えてくれる。
こういう考え方を持っていれば、

その負けは翌日まで引きずらずに済むのです。

勝負の世界に生きている我々には、

いちいち負けたことにへこたれていては、
身も心ももたない
ことになる。

負けたときは、その人にとっての大きな「転換点」

だという考え方に立って、
学びを得て次に活かすことができれば、そのことによって進歩し、
成長したりするキッカケとなり、

神の啓示にも似た“気付き”を得る瞬間にもなる。

「単なる負け」と目先の勝負だけにとらわれず、そこから学び、
踏み台としてこそ意義があり、大きな成長につながるのです。

人間はいくらでも成長できる動物です。
「自分のできる範囲はここまで、

これができれば、もうよしとしよう

と思ってしまえば、それが自分にとっての能力の限界になってしまう。

「もし、こうやったらどうだろう」

「他にも方法があるのではないか」というように、
可能性をどんどん拡げていくことが大事です。

「脳」のしくみや機能からも、
「もうそろそろいいだろう」と思った瞬間に脳の働きが落ち、

脳の血流が落ちてしまう。
「まだまだこれからだ。ここからが大切なんだ」

という意識を持つことが、
脳にとっては大事なことで、
目標を達成して「うれしいと感じること」が、

脳へのご褒美となるのです。

人間は頭のいい動物です。
人間は誰でも伸びしろに制限はないのです。
まずは、目の前のことに必死に取り組みながら、
常に「あと一歩」を踏み出す習慣をつけていこう。

 

児玉圭司名誉総監督

昭和35年~45年
明治大学体育会卓球部監督
昭和45年~令和2年
明治大学体育会卓球部総監督
令和3年~現在
明治大学体育会卓球部名誉総監督

(株)スヴェンソン 代表取締役会長

日本学生卓球連盟 名誉会長

明治大学駿台体育会 名誉会長

昭和31年
世界選手権シングルスベスト16
昭和40年
第28回世界卓球選手権 日本代表監督
昭和48年
第32回世界卓球選手権 日本代表監督
昭和50年
第33回世界卓球選手権 日本代表総監督兼監督